後悔先に立たず

11年前の昨日のこと、今でも鮮明によみがえります。
9月14日。
ウェディングプランナーとしてバリバリに働いていた頃
その日は突然にやって来ました。

私が担当していた結婚式の開始が10:30。
新郎新婦の支度は8:00開始。
私の現場の入り時間は…当然早いわけで、
6:00には電車に乗っていました。

乗り換えの電車を待つホームで突然父からの電話。
滅多に電話がかかってくることのない父からの早朝の電話。
直感で「なんかあった?」と思ってしまいます。
通話のボタンを押した瞬間に、それは現実に…。

「お母さんが倒れた。脳かもしれない。」

救急車のサイレンが鳴り響く車内から
動揺を隠せない父の震える言葉と声のトーン。
「あ~う~…」と唸るような母の声。

多分、一生忘れることはないでしょう。
あの日から、「連絡せずとも親は普通に実家に居る」
という概念が打ち消され、生活も一変しました。

脳梗塞。
しかも脳の真ん中、脳幹の梗塞で手術は不可能って。

担当の結婚式が無事お開きとなり、
翌週、翌月の結婚式の打ち合わせを終え、
母が運ばれた病院にようやく駆け付けられたのは
父から連絡があった12時間後。
全身に管を繋がれ、昏睡している母を目にした時、
体中の力が抜け、頭が真っ白になりました。

恐る恐る母に近づき、手を取って
「お母さん、ごめん。。。」としか言えませんでした。

母が倒れる10日ほど前に「来週行くね~」とメールしたのに
結局友達との遊びを優先し、
母が倒れる前日に
「ごめ~ん、また行ける日に連絡するね」と
電話しようかなと思いつつ、
翌日早起きするからと電話せず。
明日も、来週も、来月も、一年先も
母はいつでも実家に居ると思っていたから。

明日死ぬかもしれない状況で昏睡している母を目の前に
「なんで、この前会いに行かなかったんだろう」
「どうして昨日電話しなかったんだろう」
と、自分を責めるしかできませんでした。

11年経った今でも、その後悔はずっと抱えたままです。

当時、私は30代で、母は60代前半。
現役で働き、しょっちゅう父やお友達と出掛けていた母が
突然こんな状態になるって、考えてもみませんでした。

このまま死んじゃったらどうすればいい?
と現実を受け入れられない私たち家族の思いを知ってか、
母は動くことも話すこともできない状態で
2年10か月、生きていてくれました。

日々病院に通い、母に一方的に話しかけ、
顔や手を拭き、髪をとかし、時にはマッサージをして
母が少しでも「気持ちいい」と感じてくれることをしましたが
「こういうこと、お母さんが元気な時にしたかった」と
やっぱり後悔するばかりで・・・。

これをきっかけに、私は介護の仕事に転職し、
「突然こうなってしまった」
という方々のお世話をさせていただきながら、
「こうなってしまう前に出来ることはしましょうよ」
「元気なうちに大事なことを話しましょうよ」と
世の中の色んな人にお伝えしていきたい…と思ったわけです。

私の友人にも、担当させていただいた結婚式の新郎新婦にも
介護の現場でも、「親を亡くした」人はたくさんいました。
わたしだけじゃないんだな・・・と思うけど、
やっぱり未だに後悔しているし、思い返すと辛くなります。

子が親のためにできること。
縁起でもない話をすること。

やっぱり大事です。

後悔先に立たず・・・を体験したからこそ
伝えていきたいな~と思います。

明後日は葬儀社さんでの終活セミナー。
予期せず「その時」を迎えてしまった子の立場から
「今のうちに親子で大事なことを話してね」と
心をこめてお伝えします。
11月は客船シンフォニーでの撮影会&クルージング。
終活を意識せずとも、今まで体験したことのない非日常を
心から楽しんで、思い出と証(あかし)を残していただく
最高の時間を提供します。

母が生きていたら、セミナーもイベントも
「お母さん行く行く!〇〇さんや〇〇さんも誘っていくわね!」
って、絶対言ってくれるだろうなぁ。

船上撮影会&クルージング、是非親子でご参加ください☆彡

詳細&お申し込みはこちら(^^)/

最高フォト&ランチクルーズ

 

 

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